| 本殿は室町時代応永19年(1412)に飛騨の国城主で当時桜洞に居城した白井太郎俊国が祈願主となって家臣山下作右エ門友貞を普請奉行として再建したもので大工棟梁は飛弾匠の流れを汲む美濃の関の住人武沢茂右エ門という名匠です建物の大きさは間口三間奥行は二間で軒の高さは一二尺正面は向拝といって屋根がゆるやかな曲線で長く流れ,その長さ二十尺背面の流れは十五尺で棟の高さ約二五尺あります、この形式を三間社流造といい総素木造で屋根は柿葦、要所に斗拱,束、蟇股、肘木、手挾を備えており、柱は円柱で内部は内陣、外陣に区割し内陣は三殿造となっている。実によく当初の構造形式や材料を保存し特に両側の妻の部分は室町時代の建築美術の枠といってもよく、その手法を少しも損なう事無く今日に伝えており、規模雄大、装飾豊富で意匠に優れ県下では勿論、全国的にみても室町時代における代表的建造物である |