| ようこそ久津八幡宮へ |
|
御 祀 神
御 由 緒 今から一六〇〇年余りも昔、仁徳天皇の御代(三七七年頃)飛弾の国に両面宿儺という、怪賊がいて、時の天皇は御弟の難波根子武振熊命を飛弾の国にお遣わしになって宿儺を討って飛弾の国を平定開拓されましたこの時武振熊命は、御父応神天皇の御霊をお祀りして、武運長久と国土平安を祈られたのが久津八幡宮の始めであると伝えられていますそれから、八百年余後、平治の乱(1159)の時飛騨の国に寡兵に入国した源氏の嫡流源義平が武運長久を祈って久津八幡宮に鶴岡八幡宮の大神を勧請いたしました。その後室町時代の応永十九年(1412)に飛騨の国領主白井太郎俊国が現在の本殿を再建し、桃山時代の天正九年(1581)には飛騨の国領主三木自綱によって現在の拝殿が建立されましたその後も、飛騨の国を領した金森藩主や徳川幕府の代官、郡代によってつぎつぎと修理造営が行われ現在に至っております。また、先代宮司久津てい様(第二十七代宮司)に至るまで久津家は社家として代々久津八幡宮の護持、運営に当たられ初代飛騨の国の領主白井氏の末裔であるといわれております 御 俗 謡 「飛弾で一番一之宮、二には荒城の安国寺、三には上呂の久津之宮」 と謡われているのは、飛弾二の宮として飛弾国中から篤い崇敬がよせられていた ことを物語るもので、古い記録によりますと、飛騨の国はもとより隣国、美濃、越中まで広く崇敬が及んでいたことが知れます。 連絡先 久津八幡宮社務所 0576-52-1240 Top メールはこちら |